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事故から9年経ちました

9年前の2002年6月7日午前8時頃、
私は事故に遭いました。
かなり大きな事故だった(新聞等には載っていなかったようですが)、
はず。

このブログをアップした時間には、
武蔵野赤十字病院の救急救命センターに搬入され、ICUで処置を受けていたはずです。
もっとも、あいにくと私にはその時の記憶がありません。
事故前後を合わせるとおおよそ1~2ヶ月ほどの記憶がない、
正確には、記憶にアクセスする回路が断たれている、らしい。

ですので、
過去に書いていたブログで当時の状況を書いていましたので、
再掲してみようと思います。
 これから事故から現在までの経緯を書いていこうと思います。
 ただ事故当日から二ヶ月くらいまでの間の記憶がほとんどなく、
 あっても断片的なものなので、家族から後で聞いた話や、
 病院の診断書などを使って書き込んでいこうと思います。

 この日もいつも通りバイクで通勤していた。
 いつもの道を10年以上同じように通勤していた。
 そしていつも通り右折専用車線に入り右折待ちをしていたようだ。
 ここの信号は右折用信号もあったので、特に急ぐ事無くいつもは右折していた。
 交通事故証明書によるとこの日の午前7時48分頃、
 自分から見てやや左方向から大型バイクに突っ込まれたらしい。
 警察からの事情聴取時の記録メモを見ると、
 かなりのスピードで反対車線まではみ出して突っ込んできたようで、
 そのまま2台もつれ合って反対側の歩道まで吹っ飛んでいたとの事。
 その後意識不明のまま、救急車で救急救命センターのある病院まで運ばれた。

 意識は搬送中に戻ったようですが、
 救命センターの説明文によると、
 昏睡と意識もうろうの状態で会話は可能と書かれていました。
 その時の診断によると、
 
  脳挫傷(左前頭葉)拡大けいれん
  頭蓋底骨折による気脳症
  副鼻腔の出血
  左2~7肋骨多発骨折
  左鎖骨骨折
  血胸症(左肺がパンクして内出血、量が増えれば管を入れて抜く)
  左眼球打撲(視力低下、開眼不可)
  疼痛
 
 と書かれています。
 本人に記憶は無いのですが、改めて見ると酷い状態ですね。
 よく生きていたものだと思います。
 それはその後の現場検証に立ち会って改めて思ったことは記憶しています。


血気胸については、
その後、量が増え続け、息苦しさを訴えたため、
左脇腹にチューブを挿管し溜まった血液を抜く、胸腔ドレナージという処置を受けているようです。
いまでも挿管した後が左脇腹にあるんですよ。
左眼球打撲については、
視束管(視神経を保護している管)が折れはしなかったものの、
グキッと曲がった感じになり、それにより視神経が損傷腫れ上がり、
それを抑えるためにステロイドパルス療法というのをおこないました。

後は、抗生剤の使用、鎮痛剤(モルヒネに近いものと)の使用などなど。

まったくもって、
よく死ななかったと思うし、よくこの程度の後遺症で済んだと
思いますよ。

まるで他人事みたいな書き方ですが、
記憶がないので実際の所、他人事みたいなもんなんですよね。

ただ、何故か知らねど回りはボケボケに見えるし、
あちこち痛いし、ボワーっとしているし、みたいな感じだったですね。
あ、あと、いつの間にか左目の回りに内出血の跡あるし、
なぜだらう、と首をかしげていた時期があるのは本当の事。

入院中辛うじて残っている断片的な僅かな記憶のひとつ。


まあそんな事を思い出しながら、9年目が過ぎて行こうとしています。
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普通起こり得ないような交通事故に遭い大破。ほぼ隠居(取り敢えずは)の身となった者

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